速い司法

 本日の日経1面に、速い司法と題して、日本の裁判の遅さが話題になっていました。曰く、ビジネスにスピードが要求される現在、日本の企業は、日本で訴訟をするよりも、米国での裁判を求めるようになっているとのこと。しかし、日本の裁判に時間がかかることは、今更言われなくてもみんな知っている。別に、その対象が企業だからと言って同じ事だ。

 最近私が気になっているのは、裁判の遅さよりも、法律の不備である。つまり、法律で規定されていないことが多すぎるのである。そして法律で決まっていないことは行政に委ねられる。その時点で個人(役人)の裁量に依存してしまうのだ。企業の側から言うと、法に従って自分たちを守ることが出来ないと言う現象が生じる。本当にこの国は法治国家なのだろうか。

 例えば投信。以前に、投信は販売会社や受託会社の破綻があっても、投信がその弁済の対象になることはないと書きました。実際、信託法を見る限り、投信は別勘定で管理することが規定されていますから、その時点で、投信が破綻会社の弁済の対象になることはありません。しかし、顧客が投信を解約した場合に、いったん販売会社にその資金の所有は移るわけで、その際に、販売会社が破綻したときには、投信の解約代金を別勘定にするとの規定はありませんでした。つまり、日銀が特融等の処置を執らない限り、100%解約代金が安全だとは言い切れないのです。そして、そのことを規定した法律はないのです。

 別の例を挙げましょう。地方債。地方債は国の信用に準じる、つまり国債の信用力と同じだとよく言われます。しかし、法律上は、どこを探しても、地方債の元利償還金の信用力を国債と同じとした条文はないのです。さらに、地方債の信用力を補完していると言われる地方交付税法、財政再建法、地方債の許可制度のいずれをとっても、穴があり、自治体がデフォルトを起こそうとしたときには、それを止めることは出来ないのです。

 今までの日本は、あり得ないことに関して法律を作る必要はないと考えられてきました。地方債を例に取れば、「デフォルトした場合にどうなるのか?」とお役人に聞いても「デフォルトしないのだから、考える必要はない。」と言われてしまうのです。

 しかし、もうあり得ないことを考えないようにする時代ではなく、あり得ないことかもしれないけれども、それが起こったときにどうするかをきちんと法整備しておく時代なのではないでしょうか。そうでないと、企業は、自分の身を守ることは出来ません。企業だけではなく、個人だって同じです。有利不利は別にして、法に定めがあってこそ、対処のしようがあるのです。

 しかし、スピードが要求される現在、いくら今の世の中に合うように法を整備したとしても、すぐに陳腐化してしまうでしょう。これを阻止するためには、毎年、法律をチェックし、付け足していく仕組みが必要なのではないかと思います。



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