too big to fail

 大きすぎてつぶせない。これが、今までの日本経済を象徴する考え方であった。しかしこの考え方はもう通用しない。既にそう考えている人たちが多い一方、未だに『too big to fail』を信じ続けている人たちも多いように思う。

 事業会社に特定して考えてみよう。事業会社にとって今までは、銀行が資金を融通してくれるかどうかが、生き残るか、そうでないかの判断となった。いくら収益力が低くても、負債を返すあてが無くても、銀行が金を貸してくれるうちは、何とかなったのである。これは大企業も中小企業も同じである。

 ただ一つ違うのは、その貸出額が、貸し出している銀行へ与える影響である。少額であれば、回収するにしても、債権放棄するにしても、それによって銀行の屋台骨が揺らぐことはない。しかし、大企業は別。債権放棄するとその分資本を食われるわけで、その額が大きすぎると、銀行が債務超過という言うことにもなってしまう。

 今まで銀行は、こう言ったことが起きないように、金利を支払えない企業に対して、追い貸しと言われる貸出を行い、金利支払い分を用立てていた。つまり、負債の金利を支払えない企業への貸出に対して銀行は、貸倒引当などの処置を採らなければならない。しかし、それをやってしまうと、銀行自体が資本を大幅に食われてしまい、BIS基準である資本比率8%を維持できなくなる。そこで、金利を支払えない企業に、金利分を更に貸し出し、「金利を支払っているのだから、正常債権(マスコミの言葉を使えば健全な企業)だ」と見なしていたのである。

 先日、金融早期健全化法案が国会をとおり、自己資本比率8%以上の銀行に対しても資本を注入できるようになった。銀行の自己申告制であることから、実際にこれが利用されるかどうかは分からない。いまのままでは、手を挙げる銀行はないだろう。債務超過との烙印を押された銀行以外には。しかしながら、もし資本注入が可能になったからと言って、政治家の望むように事が進むとは限らない。

 資本注入の理由は、貸し渋りを抑えるためである。しかし、資本を注入された銀行はどう考えるだろうか。今までは、低い収益率でも、貸出が増えれば将来のためといって、その貸出を維持してきた。規模を追求していた時代はそれで良かった。しかし、株式市場の評価がそのまま、銀行の安全性に結びつくようになった現在、銀行は収益性の改善を目指していく。そうすると収益性の低い貸出、つまり追い貸しをしなければならないような企業は、収益性の低い資産であるのだから、その収益性を改善するように考えるだろう。資本注入がなされないのであれば、最悪の選択として、収益性が改善しなくても自分が少しでも長く生き残る道、すなわち、金利さえ払えないような大企業に対しても、追い貸しをし、その分、回収の出来る貸出を回収することで自己資本比率の維持を図る。しかし、資本が注入されるのであれば、そのお金で不良債権を償却できる。つまり、追い貸しをしている企業に対しては債権を放棄する事が出来るのである。そして収益性の高い企業に貸出を行うことで、資産効率を高めることが出来る。しかし、収益性の低い企業に対してはそのリスクに見合った収益、つまり高い金利で貸し出すか、そうでなければ、更なる貸出は行わないと言う選択を採ることが出来るようになるのである。

 つまり、資本が銀行に注入されることで、逆に大型倒産の可能性は高まるのである。しかし、そうなったとしても、社会全体から見れば、収益性の高い企業への回収は収まり、銀行の収益は改善し、金融システムの安定性は高まるのである。



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