結果主義と実力主義

 マグワイアのホームランをニュースで見て、日本とアメリカの考え方の違いを痛烈に感じるのである。日本で、シーズン終盤にホームラン競争が激烈化すると、相手投手は皆、敬遠と言う手段に出る。メモリアルアーチを打たれた投手やチームは一生、記録として残ってしまう。これを避ける為もあるだろう。また自軍チームにホームラン競争をしている打者がいるのであれば、その打者にホームラン王をとらせるために、相手打者に打たれないようにするためもあろう。

 首位打者を争う場合も同じである。僅差で首位打者を争っている場合、その打者は試合を欠場して打率を下げまいとする。確かに、首位打者を僅差で逃すくらいなら、どんな手段を執っても、記録として残りたいという気持ちは分からないでもない。しかし、それはプロ野球ファンが望んでいることなのだろうか?

 大リーグに同じ考えの人が多ければ、マグワイアの62号は生まれなかったであろう。しかし、アメリカは違う。打者が、どんなに凄くても真っ向勝負である。マグワイアに対しても各投手が真っ向勝負してきた。だから、この大記録は生まれたのである。そして、そいういう風土だから、プロ野球は盛り上がるし、野茂も、大リーグへと羽ばたいていったのである。

 日本は結果を気にする民族なんだろうと思う。逆に言うと結果さえ良ければ、何をしても良いという考え方がある。古くから「勝てば官軍、負ければ賊軍」という諺まであった。しかし、結果を気にする文化が、金融機関やその他の企業の不祥事をうんできたのではないだろうか。貸出を増やせとの大号令の元、その貸出内容には注意を払わず、貸出を増やした社員が評価されてきた。企業でも、売上を増やせとの大号令のもと、接待や、賄賂、なんでもありだ。とにかく、売上を増やした社員が評価されてきたのである。

 以前にも、似たようなことをエッセイで欠いたような記憶がある。しかし、マグワイアのホームランを見て、改めて、このことを強く思うのある。日本もそろそろ、結果主義から脱皮しなければならないのではないだろうか。単純な数値を目標として社員一丸となって前に進むというのは、会社の成長にとって非常に都合がよいし、社員のモチベーションも高めやすい。しかし、その前に、自分たちの存在意義を認識し、何を提供することで、社会に貢献していくのか、そう言ったことをきちんと社員の中に共有し、その考えの基に成長していくことを目指す時期に来ているのだと思う。



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