会議

 現在所属している会社は、非常に会議の多い会社である。今日も半日、会議のために時間が費やされてしまった。

 前の会社でも会議は多かった。そして、それにうんざりしていたのだが、前の会社の会議は、運用に関する会議だった。「私はこう思う。」「いや俺はこう思う。」というように、それぞれのマーケットに関してその相場観を、話し合うのである。全体会議があるので、その前に各部署で、意思統一のために会議を行うことになる。私はこの会議が非常に苦手であった。なぜならば、相場の予想というものは、全員一致で決まるものではないからだ。得てして、意見が同じになったときと言うのは、逆に間違うことが多いのである。会議のない会社で仕事がしたい。そう思っていた。運用という仕事は独善的になってもいけないが、周りの意見に振り回されても、上手くはいかないものである。独善的かどうかは、パフォーマンスを見れば分かるのであるから、定期的に会議を開いて、無駄な意見を聞く必要はないのである。

 しかし、今の会社は、そう言った会議ではない。管理職の社員が一堂に集まって、雑談を行う会議である。そしてそのために半日が費やされる。

 連絡事項であれば、メールで連絡すればよい。コミュニケーションを取るのが目的であれば、もっと違う方法もあるだろう。会議という名目で、時給の高い社員を一堂に集めて、高いコストをかけるよりも他にする事があるのではないかと思うのだけれども。。。。

 会議が多くなるのは大企業病の一種だと思っている。一般的な話として書かせて貰うが、人が多くなると、上層部は不安になるのである。自分が下の意見を汲まずに暴走しているのではないかとか、どこかで離反が起きるのではないかといった不安がわいてくるのである。そのため、会議によって下の意見を汲んでいるんだという形式を取りたがるのである。人数が増えれば、ちょっとした時間に意見のすりあわせをするということも無理になるので、時間を決めて、会議を行うのであろう。

 また、会議が開かれることによって、自分の仕事をアピールしようと考え出す人たちも出てくる。普段あまり、日の当たらない仕事をしていると、「我々はこんなに仕事をしているんだ」と会議で披露したくなるのである。そのために、関係のない人たちが、長い時間拘束されるのである。

 しかし、会議の最大の難点は、時間が決められ、皆が同じ時間、拘束されてしまうと言う点である。メールだったら、読みたいときに読んで、返事を書きたいときに書けばよい。都合のつく時間を自分で選択できる。掲示板も同じである。もっともっと日本の企業の中にメールの文化が浸透すれば、大きく効率をアップさせることが出来るだろう。あとは社長や会長が、導入を決意するだけなのである。会社に導入すると言うことではなく、自分が関わる会議をメール化することに対して、賛成できればよいだけなのである。大抵の会社はメールのシステムは導入されている。ただ、効果のある方法で使われていないだけである。社長や会長が、自分で使うようになれば、会社での利用は大きく前進するだろう。その勇気があるかどうかだけである。少しは、我々の著書『ビッグバン時代のネット活用術』を読んで勉強して貰いたいものである。ナンテ(^^ゞ



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