教育

 本日、朝の通勤電車の中でのこと。日経新聞を読んでいると、隣の中年男性二人組が大きな声で議論をし始めた。どうも、片方の男性が私立の学校(中学校か高校かは分からない)の教員をしているようだ。

 基本的な議論の中身は、「一クラス40人では、一人一人を見ることが出来ず全体の管理になってしまう。一クラスあたりの人数は20人程度にすべきであり、そうすることによって一人一人の個性を見ながら教育をすることが出来る。」というものであった。

 実際、40人という人数が多いというのは事実かもしれない。しかし、そこに現在の教育の問題を全て集約してしまうのは、無理があるように思う。「40人じゃぁ、教育出来ないよ。」と言い訳をする人は、たとえ一クラス20人になっても、「20人じゃぁ、多すぎる。」と、言い訳をするのではないだろうか。得てして、こういう言い訳をする人は自分の子供の教育すら(つまり一人や二人さえ)教育できていないのである。一クラス40人であっても、きちんと生徒全員を見渡して授業を行っている人たちだっているのである。

 教育に必要なのは、まずは教育者の熱意であり、これを醸成するためには、優秀な人たちが教育者になりたいと望むようなシステム構築が必要なのである。大学時代に、私はドイツ人の先生にドイツ語を習っていたが、このドイツ人の先生は、ドイツの教育システムについてこう言っていた。「日本は平均点を上げるための教育システムだが、ドイツはリーダーを作るための教育システムを構築している。そのために、一番優秀な人間が、教育者になり、次世代のトップリーダーを育てているのだ。」と。

 高校や大学で、優秀な成績だった人たちが競って、教育者になりたがるようなシステム。金によって、それが構築できるのなら、それでも構わない。もし、小学校や中学校、高校の先生には一月500万円の給料を支給するとしたならば、優秀な人たちがこぞって、先生になりたがるだろう。そうすれば、競争・淘汰が促進され、結局は熱意があり、教育に対する方向性をきちんと持っている人たちが、生き残るのではないだろうか。

 教員の賃金を引き上げることだけが、解決の方法とは思わないが、教育の場にも純粋な意味での競争原理を導入することが、解決への近道だと思う。何を基準に競争するかを間違うと、とんでもないことになってしまうのだろうが。



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