小説 山一証券

 元山一證券OB作家だという水沢 渓が書き下ろした『小説 山一証券』を読んだ。一応、セミドキュメントと言うことにはなっており、登場してくる会社や人物名も"山一證券"以外は架空の会社名や架空の人物名になっている。しかしながら誰が読んでも、野田証券は野村証券、大和田証券は大和証券、日農証券は日興証券であることは明白である。人物名も、大平社長は行平社長、三本木社長は三木社長、野中社長は野沢社長であることが明白だ。更に、多少山一證券に詳しい人なら、四菱重工のCB発行のあとに自殺した八田副社長は、三菱重工CB事件のあとに自殺した成田副社長であることがすぐに分かる。この事件は私が山一證券に入社する直前であり、入社前研修で一緒になった同僚達と「この件は、山一證券の将来を左右する大きな事件らしいぞ。」と呑気に話していたことを、今でも覚えている。

 つまり、この小説は、名誉毀損などで訴えられないように、全て架空の社名や人物名を使っているものの、基本的には事実に即して書かれているだろうと思うのである。多少脚色や作り話もあるようだが、特に会社が自主廃業を選択せざるを得なくなった過程や、飛ばしにはまっていく過程については、ほぼ事実通りなのだろう。

 その前提でこの小説を読むと、如何に山一證券の経営者が無能だったか、いや無能なだけでなく会社を私物化していったかがよく分かるのである。もう既に、多くの山一證券元社員は、再就職を決めたようだし、今更山一證券の経営者に対し恨み辛みを言ってもしょうがない。しかしながら、「山一證券」と言うことを考えずに、「某上場会社」だとしても、日本の上場会社が、このように、自己保身と自分の利益のみを考えて行動していたというのは、驚嘆してしまう。会社の将来を考えたときに、外資との合併を選択せざるを得なくなったのに、自分の持ち株比率が下がることを理由に、合併に反対した某経営者がいたと言うことは、同じ業界いたというだけで恥ずかしくなってしまう。

 経営者がこのように無能な人間の集まりであるとするならば、その会社は破滅への道を歩まざるを得なくなるのは当然である。いや、無能というのは言い過ぎだろう。少なくても多くの有力競争相手を蹴落として、経営トップの座に着いたのであるから、昇進競争という事にかけては非常に優秀だったのだろうから。

 しかしながら、少なくても経営者である以上、会社の将来を考えた行動をとるべきだったし、また取って欲しかった。社員の生活を考えろとは言わない。しかしながら上場会社である以上株主のことを考えた行動をとるべきだったであろう。自主廃業という選択によって、大きな損失を被ったのは株主なのだから。

 昨年の株主総会の後、新聞で山一證券の株主総会の模様が伝えられた。それによると、山一證券の株主総会では、ある個人株主が「山一證券だけが、ずるずると株価が下がっている。頑張ってくれよ〜。えぇ。350円の社長さんよ〜。」と経営者の経営責任を問う発言があったとのこと。

 経営者は、ユーザーのことも社員のことも考えなくても良い。最低でも株主のことを考えて経営して貰いたい。それも短期的な業績ではなく、将来にわたって株主が利益を享受できるように経営の舵を取って貰いたい。それが結局はユーザーのためにもなり、社員のためにもなるのだから。


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