コカ・コーラとキリン・ビール

 アメリカにコカ・コーラという会社がある。本拠地はアトランタ。アトランタオリンピックの際には、コカ・コーラのコマーシャルが寸断なく流れていたのを覚えている方も多いだろう。この会社、日本にも随分昔から、進出していた。私が子供の頃には既に飲んでいたのだから、米国企業の日本進出においては、草分け的企業とも言えるだろう。(ボトラーがどうのこうのという話は止めておきましょう。)

 この会社、昨年の売上は約180億$。日本円にして2兆4千億円程度という巨大企業だ。これだけの巨大な売上を、1995年から続けているのにも関わらず、当期利益は1995年30億$、1996年35億$、1997年40億$と、順調に伸ばしてきている。この順調な業績を受け株価も1995年の20$台から、昨日は73$へと、右肩上がりの上昇となった。

 しかし、このコカ・コーラという会社。今日まで何の苦労もなく順調に業績を伸ばしてきたわけではない。1886年にアトランタに生まれたこの会社は、広告宣伝の上手さや、原液で販売するという手法、瓶詰めで販売するというアイディアが受けて順調に業績を伸ばした。1920年代には砂糖の価格の上昇によって利益が出なくなる時期もあったが、その後は、砂糖価格にコーラの卸価格をスライドさせるように変更し、1970年代まで順調に利益を上げてきた。しかし、ペプシ・コーラに追いつかれ、販売業態によってはペプシ・コーラに追い抜かれるようにもなった。これに危機感を抱いたコカ・コーラの経営幹部は、商品政策に活路を見いだそうと、チェリー・コークやダイエット・コークなどの製品を世に出してきた。そして1985年。この会社は、コカ・コーラの味を大々的に変更し、ニュー・コークとして売り出すことを発表した。これに対し、ペプシ・コーラは、勝利宣言を行い、また消費者は猛烈な反対運動を展開したのである。

 その結果、コカ・コーラ社は、ニュー・コークによる商品展開を諦め、クラシック・コーラとして、昔の味を取り戻したのである。そして現在のコカ・コーラ社の繁栄があるのである

 何故、この話を持ち出したのかというと、現在のキリン・ビールの置かれた状況というのが1980年代のコカ・コーラ社に似通っているのではないかと思うのです。スーパー・ドライの快進撃でキリンを追いつけ追い越せと頑張るアサヒ・ビールの存在は、コカ・コーラ社の競合相手である、ペプシ・コーラ社の存在に相通じるものがある。また、風と太陽のビールやキリン・ドライで失敗したキリン・ビールの姿は、コカ・コーラ社がチェリー・コーク等の商品政策によって売上を伸ばしていこうとした姿と重なって見えてしまうのである。そして、圧巻は、淡麗生。キリン・ビールは、淡麗生という発泡酒も売上に加えるとアサヒ・ビールに追い抜かれたわけではないと言い訳している。しかし、昔は圧倒的なシェアを誇っていた会社である。それが、発泡酒も加えればまだ1位だよと言い訳する姿を見るにつけ、逆に悲哀さを感じてしまうのである。

 消費者のニーズに何とか対応しようとして、色々な新商品を発売するのであるが、果たして消費者はそう言うものを望んでいるのだろうか?現在「復刻版ビール」と銘打って、昔の製造方法で作ったラガービールをプレゼントするという企画が展開されているが、これの申し込み倍率が凄いようだ。100万本も当たるのに、既に300万枚の応募があるとのこと。消費者は本当は昔のラガー・ビールを飲みたいのではないだろうか。別に新しい味を望んでいるのではなく、「これがキリンのラガーだ」と言えるようなビールを望んでいるだけではないのだろうか。コカ・コーラ社の戦略転換は、キリンにとっての教科書になるように思えるのだが・・・。


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