取引所の位置づけ

 昨日はすごい事件が起こったようだ。東京証券取引所に右翼が立てこもったとのこと。一部の新聞では日本のリスク管理体制の甘さを指摘していたようだ。問題はそこにあるのだろうか?

 昨年5月に米国に行ったときに、米国証券取引所を見学してきた。まず建物にはいるときに、飛行機に乗るときと同じ様な持ち物検査をしなければならなかった。金属探知器を通って危険物を所持していないか確認され、バッグの中身もX線で確認されるのである。昨年7月に欧州に行ったときにはフランクフルト取引所を見学した。ここではNYほどの物々しさはなかったが、ビジターは向こうの入り口から入れと言われ、そこでパスポートを手渡し、初めて中に入り取引の様子を見ることが出来た。見学者の通路は指定されており、取引所とはガラスで隔てられていた。

 これをリスク管理体制の違いだと指摘するのは簡単だ。しかし、果たしてそうなのだろうか?日本だって、空港の管理体制は海外にひけをとらないくらいに、厳しい。また、要人が来日したとき警備の物々しさと言ったら、海外の笑い物になるくらいである。日本だって、ここで何か危険なことが起こったら非常に問題が生じると考えている場所での警備は、十分になされているのである。

 つまり、今回の事件はリスク管理体制の問題ではなく、国家にとっての証券取引所の重要性をどう認識するかの違いだと思うのである。

 昔、某中央銀行支店長の講演を聴いたことがある。彼は、FRB議長との会談の話をしてくれた。「金利を上げたいが、株が下がりそうで踏み切れないんだ。」とのFRB議長の問いかけに「株価なんて気にせずに金利を引き上げなさい。株価が下がったって、経済に大きな影響はないんだから。」と答えたと語っていた。バブルの頃の話なので、記憶も曖昧であるため、ニュアンスが多少違うかもしれないが、主旨は間違っていないと思う。

 概ね日本の政治家は、株式市場を投機家達がきったはったをやっている博打場といった認識しかないように見受けられる。だから株価が下がろうが、正しいと自分が思った政策を執行しようとするのである。そして株価の下落によって、実体経済が悪化してきたとか、信用収縮がおきているとなると、力尽くで株価を引き上げようとするのである。

 米国では、そのような発想はない。わかりやすく言うと、「株価は政策の通知簿」といった捉え方をしているのではないだろうか。常に株価が上がることを「良し」としているわけではなく、バブルの発生は未然に防ごうとする。しかし、急激な株価の下落などの事態がおきたときには、株価が上がるような「政策をとる」のである。株を買い上げるのではなく、株式市場が何を懸念しているかに耳を傾け、そこから、政策を練り上げようとする。

 証券取引所は国家の生命線なのである。そこを爆破されるなんて事態が生じれば、経済に大きな打撃を与えると考えているのだろう。その結果が、あれだけの物々しい警備になるのではないだろうか。当然、取引所は政府の管轄ではないため、そのような命令系統の中で警備体制が決まっているわけではないだろう。しかし、そう言った考え方が、国民全体に浸透していることが、取引所の警備体制につながっているのだと思う。

 今回の事件を契機に、取引所の警備は厳重になるかもしれない。しかし、政治家の、そして日本国民全体が、証券取引所の重要性を認識しなければ、結局何も変わらなかったという事にもなりかねない。


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