10大ニュース

 今年もあとわずかになりました。そこで1年を締めくくる意味で、今年の私の10大ニュースを上げてみようと思います。

 まずは第十位、北海道拓殖銀行破綻。北海道出身の私にとって拓銀は知り合いがたくさん就職しているなじみの深い銀行でした。その上預かり資産は横浜銀行よりも少なかったとはいえ、痩せても枯れても都銀。大手20行はつぶさないとの当局の発言も空しく、北洋銀行への営業譲渡の道を選ばざるを得なくなりました。経営者が無能だったとはいえ、もう少し何とかなら無かったものかと思います。これを契機に金融システム不安が高まり、タンス預金も増えたような気がします。

 第九位は裏投信協会発足。このホームページは一般個人投資家を対象に作っていたのですが、結構業界関係者のアクセスが多かったのです。来るメールも投信会社やその他の運用会社、そして証券や銀行の投信関係の人など。そこでそういった人達とのネットワークを強めようと考えていたんです。また、パソコン通信やinternetで投信について発言していたのですが、関係者との議論になると、暴露的な話になりがちなので、閉ざされた空間で真剣に投信業界の将来を投信関係者と議論したいと思った事もあり、「裏投信協会」なるコーナーを設けました。しかしながら、参加者は増えるものの発言はなかなか活発にならず、現在どういう形で発展させていこうか思案中であります。

 第八位は歩く会発足。私の運動不足を心配してくれてか、ネット仲間の間で歩く会(私を歩かせる会?)が発足したんです。しかしながら、ちょこっと歩いた後はビールを飲みまくって美味しいものを食べて結局体重は増えてしまいました。その上、海外へ行くと一食当たりの量が全く日本と違うことから、だんだん食べる量が増え、体重も右肩上がりに増えてきました。そろそろ、ダイエットしなければ・・・。そういえば、ここのエッセーでもダイエット宣言したことがあったな。(^^ゞ

 第七位はアニメタルのコンサートへ。ソニーミュージックの企画ものバンド、アニメタルが気に入って、良く聞いていたのですが、日比谷野外音楽堂でコンサートがあると知って、駆けつけました。野外でのコンサートが初めてだったので、興奮しましたが、前座がアニメタルレディだったことも嬉しかった。昔大ファンだったミーちゃんを初めて生で見ることが出来たんです。ピンクレディの頃はよく、振り付けを真似していました。

 第六位はモバイルギア、ザウルス購入。今まで会社から手帳は支給されていたんですけど、どうも私にとっては使いづらく、メモを記入したことは一度もありませんでした。しかし、スケジュールの管理は必要。特に会社取材や会社説明会が多いときには、記憶だけではどうにもならなくなります。そこで、最初はレッツノートにスケジュールソフトをインスツールして使っていましたが、自宅まで持ち帰るのが面倒。結局ザウルスを購入してしまったのです。スケジュール管理、そして、簡単なメモ帳、辞書代わりと、ザウルスは期待以上の働きをして貰っています。欧州へ行ったときには、マイン川のほとりで出会った中国人とザウルスを通じて、英語、中国語、日本語の三ヶ国で会話を楽しむこともできました。モバイルギアは突然友人から安く譲り受けたのですが、持ち歩きにはこれほど便利なパソコンはありません。会社帰りに飲み屋でエッセーコーナーのアップ原稿を書くこともできるし、会社取材の帰りに電車の中でレポートをまとめることもできる。この二つの電子機器購入によって、私のパソコンライフは更に充実したものになったのです。

 第五位は株式市場の低迷。今年は国際優良銘柄だけは堅調な株価推移となりましたが、それ以外はボロボロ。PBR1倍を割る銘柄が上場銘柄数の半分以上を占めるまでになってしまいました。有価証券報告書が信じられないだけに、しょうがないと言えばしょうがないんですが、それにしてもひどい相場でした。私は、『誰が見ても良い銘柄』というのはあまり好きではないんですよね。ソニーがなんだ、本田がなんだ。良いのはみんな知ってるよ!それよりもすねに傷を持つ会社ほど変身の可能性があるわけで、そう言った会社を調べて投資することに楽しみを見いだす天の邪鬼なのです。しかしながら、少しでもすねに傷を持つ会社はとことん売られる相場。実際には、それなりに好パフォーマンスで運用を行えてはいるのですが、面白くない相場でしたね。特に店頭株。中小型中心に運用するファンドを多く担当している私にとって、店頭株の低迷は本当に頭の痛い問題でした。景気の低迷そして信用不安と、店頭株にとっては株価の上昇を抑える大きな要因が二つもあったのですが、それにしても、ひどかった。今年は全く良いところ無しの相場でしたね。日経店頭平均は年初から年末まで一貫して下げ基調。どんなに悪い相場でも、年内に一度くらいは盛り上がる局面があるものなのですが、店頭株に至っては、年中下げ基調。そんな中で会社訪問をしていても空しくなるばかりなのでした。相場も悪かったけれども、経営者にも株主価値の増大を真剣に考えて貰いたいものです。

 第四位は年内に2度目の海外へ。アメリカへ行って以来、海外旅行は一人で行っても面白いことを痛感した私は、夏休みもどこか海外へ行こうと計画していたんです。でも、欧州へ行こうとは考えていませんでした。それよりも、アメリカへもう一度ゆっくり行こうかなナンテ考えていたんです。ところが、仕事で欧州株を一部組み入れるファンドを担当せよと言われまして・・・。米国やアジアなら情報もいろいろ日本に入ってくるし、行ったことが無くても何とかなるかも知れませんが、欧州の企業なんてグッチやフォルクスワーゲン等など、僅かしか思い浮かびません。折角だからと、休みをとって欧州へ行くことにしたんです。英国現法の同僚に連絡したら、会社訪問に連れていってくれるとのことだったので、夏休みなのにも関わらず背広持参でヨーロッパ旅行をしてきました。ミュンヘンのお城もナショナルギャラリーも良かったですが、フランクフルトでインターネットへアクセスするための電話アダプターを探し求めて、電気街を歩き回ったのが一番楽しかったな。

 第三位はネットワーク仲間が加速度的に増える。95年より(正確には94年年末より)、パソコン通信やinternetを通じて投信関係の発言をし、オフ会に参加することでネットワーク仲間が増えていましたが、今年はこのホームページを通じて加速度的にネットワーク仲間が増えた年でもありました。裏投信協会に加入していただいた後、メール交換を通じて、更に懇意にしていただいている方もいらっしゃいますし、エッセーコーナーを通じてメールをいただくようになった方もたくさんいらっしゃいます。金融関係者のホームページオーナーばかりで集まったこともありますし、そう言った色々な形で知り合った方からの紹介で、更にネットワークが広がったことも多々ありました。私は北海道出身と言うこともあり、東京に来たときは、大学時代の友人も少なく(ほとんどの友人は地元に就職した)、知り合いと言えば社内の人間だけだったのですが、通信ネットワークを通じて、社外に知り合いをたくさん増やすことが出来たのは、本当に幸せでした。こういった形で知り合えた友人は私にとって、生涯の宝物になると思っています。ネットワーク上のつきあいはgive and takeですから、自分も更に磨いていかなければならない。そう言った意味で励みにもなっています。今後とも皆様、宜しくお願いしますね。

 第二位は初の海外旅行は、会社のお金でアメリカへ。それまで、海外旅行ってしたことがなかったんです。海外なんて自費で行くものではないと考えていたことや、一人で行っても面白くないだろうとの考えていたことから、その分のお金はアルコールに回す日々が続いていました。そうしたら、会社の命で、2週間、アメリカに行ってこいと行われたのです。全米アナリスト協会への出席がメインの目的だったのですが、そのほかにも5社に訪問して、取材を行うことも出来ました。NYでは二日間の休みがあったので、ナイアガラの滝まで行ってきました。いやーすごい迫力でしたよ。

そして、第一位は山一証券、自主廃業。簿外債務が噂にはなっていたものの外資系に買収されるだろうと甘く見ていました。しかしながら、株がどんどん売られて50円台に突入。この時はさすがに株の怖さを痛感しました。そして11月22日土曜日、日経新聞を開くとこのニュースが目に飛び込んできました。この時考えたのは、山一証券で投信を購入していた人達のこと。そこで、微力ながらなんとか安心して貰いたいと、「緊急」のページを作成し、投信の安全性をPRしたのです。でも、このニュース以降、私が勤める会社の環境も大きく変わりました。

 以上、色々あった一年でした。特に金融関係者にとっては『激動の』と言う言葉がこれほど、身にしみる年もなかったのではないかと思います。その他にも上場会社の倒産が相次いだり、猟奇殺人の犯人が中学生だったり、ダイアナ元妃が天に召されたりと、暗い話が多かったように思います。しかしながら私個人にとっては、第二位の米国旅行や第三位のネットワーク仲間の広がりに見られるように、非常に有意義な一年でもありました。1998年も、1997年以上に有意義な年にしたいと思っています。皆様も、このbobubeck's homepage そしてボブべっくを1997年同様、1998年も宜しくお願いいたします。m(__)m


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