12月13日

あいさつ

 東京駅の構内、改札へ向かう通路は、昼も夜も人の波が絶える事がない。ちょっと横を向いているとすぐに、対向者とぶつかってしまう。そんなとき私はすぐに、「あ、ごめんなさい。」と謝ることにしている。たまに、満員電車に乗ると、つい他の人の足を踏んでしまうことがある。そんなときも直ぐに、「ごめんなさい。」「すいません。」と言うことにしている。

 しかし、人の足を踏んでも何も言わない、人とぶつかっても何も言わないで通り過ぎて行く、そんな人が非常に多いような気がする。特に、おじさん、おばさんに多い。若い人達の方が素直に「すいません。」「ごめんなさい」と言った言葉を発している。

 なぜ、年を取ると、こういった言葉を使えなくなるのだろうか。

 日本が安全な事がその理由の一つになるのではないだろうか。知らない人にぶつかって、しらんふりをして通り過ぎたからと行って、殺されることはない。お互いに忙しいのだ。胸ぐらをつかんで殴り合いになることだって、ほとんどない。たまにニュースで、酒を飲んだ人同士で、ぶつかった、ぶつからないいと口論になって、殺し合いになったと言うことが報道されるが、報道されると言うことは、それだけ、そういったことが珍しい、ニュース性があると言うことだろう。

 年を取ると、「謝ることは恥ずかしいこと」「人に頭を下げることは屈辱的なこと」と言うような考え方が、一般的には、あるのかもしれない。

 そして、見知らぬ人から何と思われても、どうでも良いと考えているのかもしれない。知っている人に値する礼儀は重んじる日本人だが、見知らぬ人には、そう言った心遣いが全く発揮されないのである。

 朝、出社するときに、足を踏まれたり、対向者とぶつかったりすると、一日中、不愉快な気持ちを引きずってしまう。しかし、一言「ごめんなさい」とか「大丈夫ですか」と言った言葉を聞くことが出来ると、逆に、一日気分よく仕事が出来るものである。別に、私が気分よく仕事をすることが出来ても、出来なくても、他人には全く関係のないことではある。でも、他人を知らず知らずのうちに不愉快にしてしまっている人は、回り廻って、自分も同じ事をされてしまうのである。その上、見知らぬ人に対する礼儀に、その人の"育ち"が現れるものである。

 人にぶつかったり、足を踏んでしまったり。そんなときは、一言、挨拶を忘れないようにしたいものである。

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