欧州旅行記 第四日目

 本日は6時に目が覚めた。これは普段と同じ。時差ボケを解消するのが、訪米時よりも早くなったようだ。シャワーを浴び、朝食をとった後、荷造りをして、チェックアウト。本日は午後3時半の便でロンドンに向かう予定。そこで、まずは中央駅のコインロッカーにスーツケースを預け、フランクフルト市内を徘徊することにした。

 まずは、マイン川のほとりのリーベックハウス(だったかな?)に向かった。ここも美術館になっているのだが、開館は10時である。そこで、開館までマイン川ほとりで時間をつぶすことにした。川辺に降りていくと、ベンチに座っていた日本人らしき人物がこっちに来いと手招きする。近寄っていくと「おまえは中国人か?」と聞いてきた。「いーや、日本人だよ。そう言うあなたは中国人か?」と聞くと、そうだという。それから、1時間あまり、この中国人と英語を介しての会話を楽しんだ。彼は現在ケンタッキーに住んでおり、生理学の勉強をしている。そして、学会があってこのフランクフルトに来たらしい。せっかくの機会だから、香港の中国返還についてどう思うか聞いてみた。彼は「すばらしいことだ。香港は元々、中国のものだったのにアヘン戦争以後英国植民地になってしまった。しかし、住人のほとんどが中国人だし、中国に返還されるべきのものなのではないか。」とのこと。一国二制度についても、全然問題ないのではないかとのことだった。この中国人と会話していて、日本の英語教育がやっぱり間違っていると感じた。何故なら、彼は、生理学の研究をしているいわば、エリート層なのだろうが、その彼でさえ、「その単語はどういうスペルだ?」と聞くと答えられないようなことが度々あったのだ。しかし、スペルが分からなくても、意志の疎通には全く問題ない。それよりも発音できないことの方が、意志の疎通に支障をきたすし、問題があるのである。しかし、日本の英語教育はどう発音するかよりも、スペルミスで減点していく。言語は意志疎通のための道具であるのだから、意志疎通できるようにするための教育をして行くべきではないのだろうか。

 午前10時になったので、今日は楽しかったと握手をして、この中国人と別れ、リーベックハウスに入った。ここは彫刻が数多く陳列されている。宗教的な彫刻が多く、私にはいまいちピンとこない。ただ、ここで、一つだけ面白いことを発見した。キリストの彫刻や彫り物はほとんどの場合、手や足に打たれた杭や、右脇腹に突き刺さった、刀の痕がリアルに表現されているのだが、ここに展示されているキリストのうち、一つだけ刀の痕が右脇腹ではなく、左脇腹にあるのだ。こういうくだらないことに感動してしまう。一通り展示物を見学した後、ここを出て、ユダヤ博物館に向かった。

 マイン川のほとりをテクテク歩いていくと、でかい建物のユダヤ博物館が見えてきた。ここは、ユダヤの歴史が分かると言われているが、実際に中に入って、展示されている写真を見ると全部解説はドイツ語であった。ドイツ語は大学時代に第二外国語で選択して以来である。理解できるはずもない。ここだけではなく、ドイツ全体に言えることだが、人は旅行者に対してとっても親切だが、国のシステムや、企業のシステムは旅行者に対して全然親切ではないのである。日本語はもとより、英語で併記されているところも少なかった。たいていはドイツ語のみ。国民はたいてい英語を理解するが、訊ねないと何も分からないのである。米国の観光地は、日本語や韓国語で併記されているところがたくさんあったのに、えらい違いである。ま、そんなわけで、ユダヤ博物館の展示物は写真がほとんどだったので、一通り見た後すぐに、ここを出た。

 そのまま、川のほとりを少し歩いた後、街中に向かった。やはり、フランクフルト証券取引所を見学したいと思ったのである。証券取引所は、カウフホフという百貨店の後ろ側にあった。正面玄関から中に入り警備員に、取引所を見学したいというと、ビジターの入り口は、別の所だと言われた。言われた場所から、取引所の中に入る。二階に上がるとガラスに仕切られた部屋から、取引フロアを見ることが出来た。トレーディングブースは三つしかなく、こじんまりとしていたが、みんなでかい声を出して、取引を行っている。すごい活気だ。前面のボードを見るとDAXが30ポイントほど上昇していた。  ここは、電話で日本語の解説テープを聴くことが出来た。三つの取引ブースの中にいるのが公認仲買人、そして、フロアで携帯電話を使い、あっちこっち動き回っているのがフロアトレーダーらしい。携帯電話で顧客と直接連絡を取り合えるらしい。私の場合、写真や本で見ることの出来る有名な観光地よりも、こちらの方がずっと楽しい。

 取引所を出たのち、近くのパブで昼食をとることにした。ビールを頼み、食べ物は鶏肉料理だと思われる料理をメニューで指さし頼むと、それは今日は作れないと言う。そこで、その下にある料理を頼んだ。何が出てくるのだろうと楽しみにしているとサラダが出てきた。ソースが美味しい。マヨネーズが日本のよりも少し甘め。しかし、10マルク以上にしては高いなぁと思いつつ、サラダをほおばった。食べ終え、店を出ようとしたら、メイン料理が出てきた。サラダがメインではなかったようだ。厚めの豚肉のスライスを衣をつけてフライパンで揚げたような食べ物だった。ちょっとしょっぱかったが、ビールのつまには丁度良い。ビールをお代わりして、付け合わせのフライドポテトをほおばり、大満足。チップを支払い店を出た。

 フランクフルト空港はSバーンで10分強。すぐに辿り着いた。ここで、トラブル発生。私の航空チケットには15:30 BA(ブリティッシュエアウェイ)と書かれているのだが、ボードには、そう言った便は表示されていないのだ。15:30のBAはヒースロー空港行きではなく、別な場所へのフライト用であった。その下に、BD(ブリティッシュミッドランド航空)という、小さい航空会社の便が15:30 ヒースロー空港行きとなっていた。そこで、ブリティッシュミッドランド航空のカウンターでチェックインをしてみることにした。おそるおそる、チケットを差し出すと、すんなりとチェックインは完了した。飛行機に乗って1時間強のフライトでヒースローに辿り着いた。こちらも雨が降っていた。今回の訪欧はどこも雨でたたられる。到着ゲートをでると、私の会社の現地法人に勤務する後輩が迎えに来てくれていた。ロンドン滞在は彼の家にお世話になることにしていたのだ。まずはタクシーで彼の家に向かい、スーツケースを置いて、当社の現地法人に向かった。フロアにはいると、同期が一人仕事をしていた。彼は、現地法人の社長である。その彼と、後輩、そして私の3人で夕食をとりに出かけた。まずはアイリッシュパブでビターを飲み、口を潤した後、近くのイタリアレストランに入った。白ワインが妙に美味しい。イタリアワインと言っていたが、多分葡萄だけではないのだろう。私にはリンゴが混じっているように思えた。このワインを飲みながら、エスカルゴ、アボガド、鱈のグリルなどを食した。アボガドが美味い。この食い物は、脂ののった刺身のような味がする。NYでは寿司バーにもあったメニューだが、日本人好みの味なのではないだろうか。

 業界動向や、社内動向等の話題を肴に、飲んで食ってワイワイやっていると、すぐに時間は過ぎてしまった。久しぶりに日本語を話したので、嬉しくなってしまったのかもしれない。ふと時計を見ると、もう11時近い。店を出て、後輩と一緒にタクシーに乗り込み、後輩の住む家に向かった。部屋にはいると、日本では何十万も出さないと住めないような豪華な、広い部屋である。ベッドルームが二つにリビング、そして、シャワールームも広い。キッチンだって6畳くらいはあるのではないかという広さだった。彼に言わせると、この部屋はイギリスでは狭い方だとのこと。ベッドもソファーも家具も、飾ってある絵も全て、備え付けらしい。いや〜、羨ましい。ふかふかのベッドに満足して、眠りについた。


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